英語できないけど飛び込んだ!オーストラリア0→1の洗礼

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ゴールドコースト、夢の入口

社会人になる前、僕はオーストラリア・ゴールドコーストに降り立った。

目の前に広がる青い海、透き通った空、適度に栄えた街並み。

「なにこれ最高やん!」

そう思ったのも束の間、そこからが試練の始まりだった。

空港から留学エージェントの支店へ向かい、なんとか手続き完了。
でも、ホストファミリーの家まではさらにバスで20分。

「これ…どこで降りればいいんや?」

英語なんて全く話せない。
ちなみに高校時代に英検4級に落ちてる、マジで笑えないやーつ笑

何とかホストファミリーの家に到着。

お家はウォーターフロントの一軒家で、家族は5人。まさに理想の海外ホームステイ。

「これ神やん!」って感動したけど…

会話、まっっったく通じない笑

ニコニコすることしかできないし、
夜は不安でJ-POPを聞きながら寝てた。

「これほんまにやっていけるんか…?」

そんな気持ちを抱いた、忘れられない初日だった。

語学学校の衝撃

翌日から語学学校に通い始める。

バスも1回乗れば慣れたし、学校の立地も先生の雰囲気もいい。

「これはいけるかも!」

…と思ったのもつかの間、授業始まった瞬間、

「待って笑 なんもわからへんやん笑」

一応、かなり下のクラスでのスタートだったはずなのに、英語がまるで耳に入ってこない。

I… I… I…
その先の言葉が出てこない笑

授業についていけず、日本人に話しかけたら

「English Only!」って怒られる始末笑

帰宅後に中学の参考書を開くも、

「いや、そもそも思い出せるほど英語、頭に入ってへんやん笑」

もはや絶望。

このとき気づいた。
10年間の英語教育って、“会話”とかほとんどしてない笑

文法も単語も、小1レベルすら怪しい自分には、ほんとにキツかった。

それでも、現地で暮らしているうちに、
“最低限、生きていくための英語”は少しずつ身についてきた。

日本人の友達や、アジア圏から来た仲間もできて、
なんとか毎日を乗り切れるようになっていく。

一度、日本へ。内定式と再出発

10月1日、内定式のため一度日本に帰国。

「うわ〜日本久しぶりや!」って、ちょっと一丁前な感想を持った笑

内定式を終えて、またすぐオーストラリアへトンボ帰り。

ホストファミリーの家に戻ると、「うちに2回来たの、君が初めてだよ」って言われた。

その時、初めて知った。

「あ、みんなそんなに長くホストファミリーの家にはいないんか」って笑

本音は、早く一人暮らしがしたかった笑
門限は22時やし、中心地まではバスで20分やし、もっと遊びたくて仕方なかった。

「自由」への準備

少しずつハードルを超えて、
英語ゼロスタートだった自分が、

“現地で生きられる自分”

になっていく(といってもマジで生きていくだけのレベルではあったけど)。

それでもこの数ヶ月間は、間違いなく僕の英語人生の「第0章」ではあった笑

そして、いよいよ次のステップは──

念願の一人暮らし。そして、もっと広い世界へ。

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