【特別編】「人生の問い」を持てなかった僕が、迷走した15年の理由

今回は、レールの上を歩いた15年間の特別編として、当時の気持ちや考え方、その後についてをまとめておきたいと思う。

目次

はじめに:「順調に見える人生」の裏にあった、正体不明のモヤモヤ

これまで書いてきた通り、僕は小学生の頃から塾に通い、中学受験をして同志社中学へ進学。

大学では資格の勉強をし、海外留学まで経験して、最終的には上場企業に就職。

世間一般的に見れば、見た目上は所謂“レールの上”をしっかり歩いてきたように見えると思う。

日本社会で生きていると、レールから外れる事=悪のような風潮があるから、自分自身にも、

「ちゃんとレールの上を歩けてきてるな、間違ってないよな」

と、自分に言い聞かせていた。

親にも「よくやったね」と安心してもらえたし、社会的にも“会社員”となったことで、それなりの評価は得られた気がする。

ただ、周りの友人からは「堅実だね」なんて言われた記憶はほとんどない。

むしろ、

「あのもちさんもついに社会人になったか」

そんなふうに言われたのを覚えている笑

自分の過去を知っている友人と、世間一般的なイメージとは、結構なズレがあったと思う。

それもそのはずで、

中学受験に合格したまでは良いものの、
中高時代は殆ど勉強もせずに、ゲーセンのメダルゲームに明け暮れ、

大学時代は心機一転会計士試験の勉強を始めたと思ったら、簿記1級を取得した所で終えて就職活動を行い、

就職活動が終わったらオーストラリアに留学し、最後はトドメのヨーロッパ旅行まで一人でした。

その時々でやりたいと思ったことは何でもやってきたし、かなり自由に生きてきたとは思う(改めて親には感謝したい)。

でも、

「自分は本当はどう生きたいのか?」

という問いを、真正面から考えたことはなかった。

そして、遂に社会人になった。

勤務地や職務内容など、自分の意思ではどうにもならないことの連続。
ずっと、モヤモヤしていた。

「これから先の自分の人生、このままでいいんか?」

「本当は、どんなふうに生きていきたいんだっけ?」

今まで自分の人生の本質を考えずに生きてきていたからか、
そんな問いが、就職してからずっと胸の奥でくすぶっていた。

第1章:選んだ道に、自分の意思はあったか?

そもそも、社会人になるまでの人生、自分はどういった基準で意思決定を下してきたのか。

社会人1年目で強烈な違和感を感じた僕は、そこから考える事にした。

中学受験については、正直意思決定の基準は偏差値だったように感じる。

小学校高学年で、なかなか意思決定の基準なるものは持ち合わせていなかった。

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