
2012年4月。
ついに、社会人生活が始まった。
入社式を終えると、僕たちはすぐに福島県へと移動することになる。
新卒で入った会社の「マザー工場」が福島にあり、
研修はすべてその工場で行われる決まりだった。
研修期間はおよそ6か月。
前半の3か月は、いわゆる「マナー研修」からスタートした。
グループで公園のような施設に出かけて、チームビルディング系のミッションをこなすなど、
まさに「THE・研修」といった内容。
住まいは、工場のすぐそばにある寮。
全国から集まった新卒たちが同じ建物で暮らし、食堂もあれば、ソファの並んだ共有スペースもある。
最初の頃は、夜な夜な集まって話し込んだりしていた気がする。
手取り14万円の初任給。
ちょうど1年前には、オーストラリアや海外一周で散財していたので笑
1日8時間・週5日働いてこの金額か…という現実に「社会って、全然甘くないな」と初めて実感。
今でこそ経営者として「研修中に月14万円払うって、めちゃくちゃコストやん!」と思えるけど、
当時の僕には、そんな視点は一切なかった。
工場実習、そして「夜勤」の洗礼
座学のあとは、3か月の工場実習が始まる。
メーカーなので、現場を知らずして語るな──ということなのだろう。
しかも、早番・遅番・夜勤の三交代制で、ガチのシフト勤務。
特に夜勤はしんどかった。
深夜0時を過ぎると、本当に眠くて。
でも同時に、24時間フル稼働で工場を支える人たちがいるからこそ、会社って動いてるんだ…
と身をもって知った期間でもあった。
金曜夜は東京へ、週末は“都会の呼吸”
そんな福島での研修生活だったが、週末になると僕は“東京に帰っていた”。
金曜の夜には新幹線に飛び乗り、
土曜には東京の友人たちと昼からカラオケに行き、夜は居酒屋で語り合い、
日曜には東京競馬場で遊ぶ、そんな週末を過ごしていた。
東京にいる友人たちには「研修が終わったら東京に戻るから、もっと遊ぼう」と伝えていたし、
自分自身も「東京のどこに住もうかな」と、間取りを調べたりしていた。
完全に、“東京本社配属”を前提に未来を描いていた。
いよいよ配属発表。そして、想定外の現実
約半年の研修が終わり、ついに運命の配属発表。
僕は簿記1級を持っていたし、どう考えても
「東京本社の経理部か財務部だろう」と思い込んでいた。そこに、疑いの余地はなかった。
そして、名前が呼ばれる。
「もちさん、工場経理部」
……ん?今、なんて?
一瞬、頭が真っ白になった。
同期にも「返事までの間、長すぎやろ笑」と突っ込まれるほど、完全にフリーズしていた。
しかも、勤務地は東京本社ではなく──研修先と同じ福島県の工場。
うそでしょ。。。
東京での生活が始まると思ってた僕が、そのまま福島に残るなんて、
そんな未来、1ミリも想定していなかった。
さらに衝撃だったのは、資格も経験もない同期が、普通に財務部に配属されたことだった。
“現実”は、じわじわと心をむしばむ
自分はなぜ…?
あまりにも準備ができていなかった現実を突きつけられて、その日、心が音を立てて崩れていった。
東京の友人に伝えるとみんな、
「まあ仕方ないよ。今まで通り、週末に遊ぼうよ」と言ってくれた。
でも正直、
いや、そんな毎週行けるほど給料ないねん、
と思った。
何より、平日の夜──たとえば金曜の飲み会に顔を出すことは、もうできないんだという現実。
それは、自分が思っていた“東京での人生”との決定的な別れだった。
親に話しても、
「言われたところで頑張るしかない。次の異動で本社行けるかもしれないし」
と前向きな言葉をかけてくれたけど、
次の転勤がいつ来るのかなんて誰にもわからない。
先の見えない長いトンネルに入ってしまったようだった。


