レールの始まり。転校4回、骨折1回の子ども時代と、中学受験の入り口

1988年、僕は大阪で生まれた。

父親は保険会社勤務。母親は、僕が生まれた頃にはもう専業主婦だったと思う。

物心がつく前から、引っ越しの多い家だった。

父親の転勤によって、数年おきに土地を変え、環境を変え、生活も変わっていった。

0〜3歳くらいまでは、さすがに記憶がほとんどないけど、
4歳の頃には、大阪にある音大付属の幼稚園に通っていた。バスでの通園。

周りはわりとしっかりした子が多く、
音大の施設での発表会等もあり、
園の雰囲気も活発だった記憶がある。

そして年長の春、僕らは京都に引っ越した。

このタイミングで幼稚園も変わることになり、
京都市内の公立幼稚園に編入することになった。

新しい土地、新しい園、新しい友だち。
でも、まだ幼稚園児だった僕は、特に何も感じてなかったと思う。

1995年、小学校に入学。京都市内の公立校だった。

めちゃくちゃ記憶に残っているのは、小1の夏。

校庭のジャングルジムから飛び降りて、左腕を複雑骨折したこと。

今思えば、なんで飛んだのかは全く思い出せないけど、気づいたら左の肘が逆方向に曲がっていた笑

ギャン泣きして、小学校の先生が飛んできて、
そのまま学校に救急車も来て、病院に運ばれていった。

1ヶ月半ほど入院し、運動はもちろん一切禁止。
確か運動会も出られなかった気がする。

友だちとも外で遊べず、毎日ベッドの上で過ごした夏だった。

因みにリハビリをサボったのかどうか記憶にないけど、未だに左腕を曲げても肩に手先が届かない笑

それから半年後。
また引っ越しが決まり、次は大阪・千里中央へ。

転校したのは豊中市内の公立小学校。

クラス替えではなく「地域も友だちも先生も全部変わる」という経験をこの年齢で何度も繰り返していた。

さらにその翌年、小3のときにまた同じエリア内で引っ越し。
今度は家を購入したため、また別の小学校に転校することに。

振り返れば、小1〜小3までのたった3年間で、
3つの異なる小学校に通ったことになる。

そのたびに、名前を覚えてもらい、
輪に入っていき、給食の配膳係になったり、
掃除場所を変えたりしながら、なんとなく新しい日常に慣れていく。

あとあと話すけど、社会人になってから5回会社を転職していて、
回りでこんなに会社変わってる友人いない笑

多分、この頃に環境の変化に適応する能力が培われたんだと思う。

そして、どこかで「自分は、周りに合わせるのがうまくなった」と感じていた。

初対面で好印象を持たれる事の方が多いのも、この辺りの経験が影響している気がする。

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