
小学4年生直前の3月下旬。
親に連れられて受けた“入塾テスト”。
子供ながらに「なんか勉強のテストだな?」と少し緊張したのを覚えている。
小学校の勉強はそれなりにできていたので、入塾テストは無事に合格。
4月から、中学受験専門の塾に通うことになった。
なぜ自分が中学受験をすることになったのかは、正直あまり覚えていない。
でも、今思えば──
父親が中学から大学までエスカレーターで進学していたことが、背景にあったんじゃないかと思う。
直接的に「中学受験」というワードを言われた記憶はあんまりないけど、
気づいたら自然とそのレールに乗っていた。
クラスの”立ち位置”と、志望校のこと
塾に入ってからは、外で遊ぶ時間も徐々に減り、所謂「受験生」になっていった。
小5〜小6あたりになると、
1番上のクラスと2番目のクラスを行ったり来たりする成績だったと思う。
最初は、家から近いという理由で関西大学の附属中学を第一志望にしていた。
でも、成績が安定してきたタイミングで、父親の母校でもある同志社中学を目指すことに。
とはいえ、当時小5〜小6の僕にとっては、
「ふ〜ん、そうなんや」くらいの温度感だった。
京都に住んでいた頃の記憶や、実際に学校見学に行った時の雰囲気なんかで、
「ここに入るのか」くらいの感覚だった気がする。
中学受験本番。2戦2勝の“負けなし”
小6になる頃には、志望校の判定もA〜Bランク。
「当日、落ち着いてやれば受かるんかな」という手応えはあった。
試験本番では、まず滑り止めのK中学を受験して合格。
その後、第一志望だった同志社中学も無事に合格。
当時の合否通知は書類で郵送されていて、
封筒が分厚ければ合格、薄ければ不合格、そんな“あるある”があった。
封筒が届いて、そこそこ分厚かったのを見た瞬間、
「ああ、多分合格したんだな」と思ったのを、今でもなんとなく覚えている。
結果的に、中学受験は2戦2勝。負けなしで終了。
でも、この成功体験って今にどう活きてるんやろ?
こうやって書いてみると、
「すごいじゃん!」って思うかもしれないし、
もちろん、勉強はそれなりに頑張って、塾にも真面目に通ってた。
でも、「自分の意思で何かを選んだ」という感覚は、まだそれ程なかった気もする。
(まあ、中学受験なんてだいたいそんなもんかもしれんけど笑)
ただ、今振り返ると
この頃に芽生え始めていたのが、
「勝ち負け」や「評価」を意識する自分だった。
・誰がどのクラスにいるか
・模試で何点取ったか
・志望校の判定が何か
塾で定期テストのたびに成績やクラス割りが張り出される、あの感覚。
“数字や評価で測られる世界”が、自分の中で当たり前になっていった。


