
2007年4月、同志社大学に入学。
自由な大学生活がスタートした。
最初はテンプレ通りにテニスサークルに入ったけど──
高校で簿記3級を取った時、
「お金のことが好き」
「会計の勉強って意外と嫌いじゃない」
と思った。
当時、英語もできない、基礎学力もない。
そんな僕でも「これなら勉強できるかも」と思えたのが、会計だった。
そしてこう考えた。
「会計系しかないかもしれん」
そうして足を運んだのが、資格の大原だった。
「どうせやるなら、ボス倒しにいくか」
そこで出会ったのが、簿記界のラスボスこと
——公認会計士。
「最強目指すっしょ」と腹をくくって、目標を決めた。
……とはいえ、当時の僕は中高6年間、
一夜漬けの鬼ローテで乗り切ってきた人間笑
・中高時代ほぼノー勉生活
・圧倒的な基礎学力不足
正直、勉強はなかなかにキツかった。
とはいえ、生活リズムはそれなりに整えてたし、時間も割いていた。
でも今振り返ると、
**「合格するための勉強の仕方」や「復習の方法」**
がまったく分かってなかった。
とにかくがむしゃらに、手当たり次第にやっていた感覚だった。
そんな状態で挑んだ1回目の試験は、あえなく不合格。
「あ、やっぱそんな甘くはなかったか」と現実を痛感した。
分岐点:就活 or 続行?
1回目の試験終了時には既に大学3年生になっており、人生の選択タイム。
- 勉強やめて就活する
- 「もう1年だけ、やってみよう」
という選択肢の中で、僕が選んだのは後者。
一見「退路を断ったように見える」けど、実はそうでもなかった。
就活に影響が出ないギリギリの“もう1年”だけと決めていた。
要するに、「留年は1年までならセーフ」と思っていた。
簿記1級は合格!これはいける?
大学4年。勉強に全振りした1年。
その中で、腕試しとして受けた簿記1級に合格!
「お?これは…いけるんちゃう?」
と少し希望が見えてきた。
さらに、大原での模試でも上位に名前が載るように。
ようやくやってきたことが、少しずつ点数にも表れ始めていた。
でも、やっぱり現実は厳しかった。
再挑戦した短答式試験も、あと1〜2問届かず、不合格。
ギリギリだっただけに、余計に悔しさが残った。
もう1年やるか、それとも就活に切り替えるか。
悩みに悩んだ末、僕は決断した。
- 簿記1級は取得できた
- 会計士は惜しいところまでは来た
- 就活には今ならまだ間に合う
- これ以上やると、社会に出るのが遅れる(=レールを外れる)
──ということで、会計士の夢はここで一旦終了。
挑戦したことで得たものも多かったし、今でもこの決断に後悔はしていない。
何より、結局社会人1年目から独立するまでの間、
ずっと「会計」や「バックオフィス全般」に関わる道を歩いてきた。
だからこそ、大学時代のこの勉強は、僕の人生にとって間違いなく大きな財産だった。
就活へ。ギリギリでの滑り込み
年が明けた2011年1月ごろから、ようやく本格的に就活スタート。
正直出遅れ感は否めなかったし、面接対策も不十分だった。
それでも東証一部上場大手メーカー3社の最終面接までこぎ着けた。
「いけるか?これいけるんちゃうか?」
……しかし、2社最終で連敗、不採用。
「え?あかんやん?あかんあかーん!これ、やばない?」
と盛大に焦り始めた中で、最後に残った1社。
面接後すぐの関西に帰る新幹線の中で、内定の電話。
「いや耐えたー」と思ったのを覚えている笑
まさにギリギリの滑り込みだった。
「あれ、めっちゃ時間あるやん?」
2011年4月には内定も決まり、あとは卒業を待つだけ。
単位も残り2〜4で、ほぼフリー状態。
周りは新社会人でバタバタしてる中、こっちは超絶ヒマ。
「この時間、今しかないやん」と気づいた。
「社会人なったら長期休みなんてない」
「65歳までとかあと何年あるねん」
「行くなら、今しかない」
──そう思って、海外行きを決意。
行き先に選んだのはオーストラリア・ゴールドコースト。
理由はシンプル:
- ハワイが大好きだった(でも確かビザが取りづらかった)
- ゴールドコーストも海があって気候も温暖
- 日本との時差がほとんどなく、生活がしやすい
- 比較的治安も良く、語学学校も多い
親もよくOKしてくれたな…と今になっては本当に感謝してる笑
そして手続きを進め、2011年6月にはついに海外へ出発!


