人生の分岐点──この2年3か月がなければ、今の僕はいない

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上場準備中、記憶があいまいな1年間

上場準備を行っていた間は、怒涛の日々だった。

僕は2015年8月にこの会社を退職することになるんやけど、

最後の直近1年間で何をやっていたのか、正直今思い出そうとしても、

簡単に思い出せないくらい忙しかった。

監査法人の対応、証券会社からの指摘、日々の業務……

全部が一気に押し寄せてきて、毎日何かに追われていたと思う。

監査法人は会計面の対応、証券会社は会社全体のガバナンスや内部統制の対応。

どちらも完全に初めての事で、しかもまだ新卒3年目。
本当にギリギリの戦いだった。

「最年少&最古株」のポジション

僕自身は、管理部では一番最初の正社員として入社していた。

その後、上司や監査役、同僚が入ってきてくれたんだけど、

正社員では一番若くて、一番古株

という、不思議な立場だった笑

前職の東証一部上場企業では、こんな経験は絶対にできなかったし、

改めて考えると、本当に貴重な状況だったんだなと思う。

代官山の“徒歩30秒”の家へ

そして遂にあまりの激務さから、引っ越すことにした。

当時は渋谷に住んでいて、夜遅くまで働いて徒歩で帰るのがしんどすぎて、

タクシーで帰る日も結構あった。

「これ、タク代払うくらいなら、もっと会社の近くに住んだ方が楽じゃない?」

ってなって、勢いで会社の目の前の家に引っ越した。

家を出て、信号が青だったら30秒で会社に着くというとんでもない立地。

ちなみに当時の家賃は1Rで月12万円。

25歳・新卒3年目でこの家賃はなかなか厳しかった。

多分給料の半分は家賃で飛んでたと思う笑

激務の中での出会い

そんな中、2014年9月。

会社の同僚がBBQを開いてくれることになった。

僕は基本的に時間に几帳面なタイプで、遅刻とか滅多にしないんだけど、

この日は前日朝まで働いてて、
起きたのがBBQ開始の1時間前。

本当に珍しく遅刻してしまった笑

BBQ会場は豊洲。

そしてそこで出会ったのが、今の奥さん。

激務のなかでBBQに参加して、そこからお付き合いが始まって、

最終的に結婚までいくなんて、我ながら凄いなと思う笑

会社のすぐ近くに引っ越してからは、まさに上場に向けて走り切る1年間だった。

僕のあとに入社してくれた同い年の経理(会計士)の同僚と一緒に、

会社から朝日を眺めたのも1度や2度じゃなかった。

深夜2時に、上司とみんなで恵比寿に焼肉を食べに行ったこともあった笑

上場審査の途中で、僕は会社を離れる決断をした

その後、証券会社の審査が本格的に始まり、

1回目の審査が終わったタイミングで、僕は会社を辞めることにした。

上司からは、

「ここまで来たんだし、最後までやったらどうか」

という話ももらった。

でも、自分の中ではここで一区切りだなと思った。

このあたりの心情については、また別の機会に書こうと思う。

2年3か月、全てが糧になった時間

この会社にいたのは、たったの2年3か月。

でも、そこで過ごした時間がなければ、今の自分はいないと思っている。

経理の基礎から、月次・年次決算、株式会社とは、資金調達とは、法律、労務、ガバナンス……

本当に多くのことを一気に学び、アウトプットした。

今、自分自身が会社をやれているのは、この時の経験があってことだと思っている。

あの頃、上司や監査役はたぶん今の僕と同じ35〜40歳くらいだったはず。

そんな中で、24〜25歳の僕や、同い年の経理の同僚のために、

毎日遅くまで一緒に残って、いろんなことを教えてくれた。

でも当時は、

「なんでこんなに忙しいんだ!」

って、そればっかりだった。

その辺若くて全然わからなくて、今思うと申し訳ないなと改めて思う笑

そして何より、今の奥さんと出会うきっかけをくれたのはこの会社だった。

辞めた後の結婚式にも、たくさんの同僚が来てくれて、
人生の節目を一緒に祝ってもらえた。

この2年3か月は、自分の人生で最も濃厚な時間だったし、

この会社に入って、会社の成長とともに24〜26歳を過ごせたことは、

本当に、かけがえのない自分の財産になった。

そして、

レールをおりた意味が本当にあった、そう思える2年3か月だった。

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